02 / ブレイクアウトA

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 その日の夜、雨と風は強さを増し、嵐になっていた。アイザワは独房で、その時が来るのをじっと待っていた。この嵐ならば、必ず落雷があると踏んでいた。都合が良いことに、昼はそれほど強い雨と風ではなく、雷が鳴ることもなかった。今は獄舎内の明かりも灯る程に外が暗くなっている時間である。
 アイザワは立ち上がり、鉄格子の所まで行き、そこから通路の天窓を見た。天窓に雨が激しくぶつかるのを少し見つめた後、部屋の奥の壁にもたれかかった。昼過ぎから、ずっとこの繰り返しである。
 その時、遠くで椅子の足とコンクリートの床が擦れる音が微かに聞こえた。今日は一回も看守の見回り時間を測っていない。というより、雨と風の音で看守が椅子から立ち上がる音が聞こえにくいため、正確な開始時間が分からないのだ。ただ、この独房に回って来た回数的に考えて、看守はもう交代するはずである。
 立ち上がって、奥の壁の方から鉄格子の外の通路を見つめる。看守は反対側の通路にある独房を見てから、引き返して来てこちら側の独房を見て回る。見回りの際に鉄格子に近づいて外を見ていると不審に思われてしまうため、独房の奥の壁際から、看守が対面の独房を通るのを見ることにしたのだ。
 そして、看守が対面の独房を通り過ぎた直後、その時が来た。唸るような轟音が聞こえてきたのだ。心拍数が一気に上がり、更にそわそわする。深呼吸を何度もして自分を落ち着けた後、独房のドアの右側に立ち、鉄格子から通路の左側を監視する。  轟音が三回した時、アイザワの視界に看守の足が見えた。恐らく二つ隣の独房を見ている。アイザワは身を引き、独房の中央で膝まずいた。雨と風、そして雷の音によって聞こえにくくなっている看守の足音に全神経を集中させる。足音が微かに聞こえ、止まる。その瞬間、アイザワは左目を閉じ、自分の指を喉の奥まで突っ込んだ。  

 看守のミノモリは、独房の囚人が大人しくしているか、注意深く見て回った。囚人一人一人に対して悪態をつく看守もいるが、彼がそのような行為をすることは一切なかった。囚人と言えども、一人の人間である。多くの囚人が自分の犯した罪を償い、更生して社会復帰してほしいと心から願っていた。
 問題視されている先日入って来た囚人も大人しくしており、その後も不審な行動を取っている者はいなかった。この見回りが終われば交代である。本日最後の仕事であるため、ミノモリはより注意深く見て回った。
 片側の通路は全て見て回り、もう一方の通路の独房もあと半分くらのところまで来た時、異変に気付いた。
「おい、お前、どうしたんだ?」
 その独房の囚人が、跪いてうずくまっている。返事がない。
「おい、大丈夫か!?」
 鉄格子を叩きながら聞くと、返事の代わりに、ビチャビチャという音と共に、鼻をつく臭いがした。嘔吐しているのだ。ミノモリは急いで独房の鍵を開け、囚人に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「すいません、腹の調子が悪いみたいで・・・。」
 そう言うと、囚人は再び胃の中のものを吐きだした。顔も青ざめている。
「ちょっと待ってろ、医務室に連れて行ってやる。」
 ミノモリは囚人にそう告げると、腰に携帯した手錠を片手だけ囚人にはめ、もう片方を独房の壁にある突起に付けて、獄舎入り口まで急いだ。入り口傍に設置された電話を取り、内線に繋げ、体調を崩した囚人がいるため、医務室に運ぶ応援を要請した。
「待たせたな、今、次に交代する看守が来るから、そいつと二人で連れて行く。」
 本当は交代の看守ではなく、他に手の空いている人に頼みたかったが、嵐が予想以上にひどいため、手の空いている奴らは皆修理や何やらに駆り出されているらしい。
 ミノモリは壁に付けた手錠を外し、囚人のもう一方の手にはめ、体の前で手錠をかけた。
「悪いな、規則で手錠はつけさせなきゃならんのだ。立てるか?」
 囚人はよろよろと立ち上がり、倒れそうになったところをミノモリが抱きかかえた。
「こりゃあ相当ひどいな・・・。」
  囚人を座らせ、背中をさすってやることにした。
  しばらくすると、獄舎の扉が開き、若い看守が入って来た。
「お疲れ様です。体調が悪いってのはコイツですか?」
「ああ。先生はどうしてる?」
「医務室に籠りっぱなしです。この嵐の中、外で作業させられてる奴らがいましてね。怪我人続出らしくて、ここには来れないみたいです。」
 ミノモリは天窓を見上げ、嫌な嵐だと思った。
「俺が肩貸すんで、ミノモリさんは後ろでコイツ見張ってて下さい。」
 そう言って若い看守は囚人に肩を貸し、歩き始めた。例え体調が悪くても、囚人は罪を犯した人間であることを忘れてはならない。いつ何時も油断はできないため、二人組で一人の囚人を運び、警戒を怠らないようにするのだ。
 囚人がいた獄舎から医務室までは多少距離があり、途中で囚人は何度も倒れた。しかし、獄舎の監視をする仕事もあるため、若い看守は強引に囚人を立たせて先を急いだ。その間、何度も雷の唸るような轟音が聞こえた。
「嫌ですね、雷。また停電にならなければいいですけど・・・。」
 若い看守がそう言った途端、これまでになく大きな音がしたと思ったら、廊下の電気が全て消え、暗闇に包まれた。

 辺りが真っ暗になった瞬間、アイザワは閉じていた左目を開けた。
「いやぁ、言った途端に停電になっちゃいましたね。真っ暗で何も見えない。」
 看守たちが暗闇に目が慣れるまでに多少時間がかかる。しかし、アイザワの目には、すでに二人の影がぼんやりと見えていた。若い看守が腰に拳銃をぶら下げているのも獄舎で確認したため、アイザワはすぐ行動に出た。
 身をかがめて看守の腕から逃れる。
「おい、お前・・・」
 すぐに看守の腰から拳銃を引き抜き、体当たりして看守を突き飛ばす。拳銃を倒れた看守に向けた時、再び唸るような轟音した。アイザワはそれと同時に引き金を引いて看守を撃った。撃たれた看守はうめき声を上げたが、それきり動かなくなった。
 アイザワが振り向くと、もう一人の看守が拳銃を手にしていた。ただ、未だに目が慣れていないのか、銃口がふらふらと彷徨っている。
「どうした!何があったんだ!」
 看守は、発砲音とうめき声は聞こえたらしいが、何が起きたのかまでは掴めていない。アイザワは看守に向けて拳銃を向けた。雷の音とともに撃って、発砲音をかき消そうと考えたが、なかなか雷が鳴らない。
 そのうち、看守の目が暗闇に慣れてきたらしく、拳銃をこちらに向けてきた。
「貴様・・・!」
 アイザワは仕方なく、看守の胸に向けて発砲した。看守が倒れた後、すぐに彼の持つ拳銃を回収する。ただ、今の発砲音で他の看守が異変に気づき、通って来た方の通路の奥から声が聞こえ、ランプの明かりも見えた。
 アイザワはそれとは反対側に走り出し、角を曲がる。その先の左側に窓があるのが見えた。その場で拳銃を一つ捨て、窓のある場所まで急いだ。医務室の方から看守が来る恐れもあったが、今のところこちらに来る様子はない。
 窓の前に着き、鍵を外して窓を開けた。激しく降る雨が、刑務所内にも入ってくる。手錠がはめられているため、窓枠から身を乗り出し、前転するようにして頭から外に転げ落ちた。この時、医務室が一階にあって良かったと心から思った。まぁ、二階にあったらこんな計画は実行していなかったのだが。
 アイザワは窓を閉め、激しく降り注ぐ雨と、殴りつけるような風の中に立った。外に出る事ができた実感を噛みしめつつ、呼吸を整える。問題は、ここからである。アイザワは刑務所の建物から出るルートは知っていても、建物の外がどうなっているのかを知らない。刑務所は四メートル近い塀で四方を囲まれており、自力で登ることはできない。何か道具を使って登る必要があるが、外の情報は無いに等しいし、嵐のため視界も悪かった。
 停電してから、そこまで時間は経っていない。電気が復旧するまでに何とかして塀を越える方法を見つけ出さなければならない。
 アイザワはとりあえず手錠を外す作業に入った。両肘を直角に曲げ、両手が自分の目線の高さにくるようにし、右手の親指を立て、そこに拳銃の引き金を引っかける。銃口が鎖に当たるように調整し、左手の人差し指と右手の中指で銃身を支えて、右手の親指で引き金を引く。一発で鎖が壊れ両手の自由を得た。発砲音も、風と雨の音に多少は紛れたはずである。
 正面には、レンガ造りの高い塀がそびえ立っていた。近づいて手触りを確かめたが、寒さによって手がかじかんでおり、例え登れたとしても、上まで登り切れるか微妙なところだった。ただ、そうこうしているうちにも電気が復旧してしまう。
 そう考えた時、背後から突然光がさした。気付かれたと思い、振り返ったが、そこには誰もいなかった。しかし、想定していたよりもはるかに早く電気が復旧し、刑務所内に明かりが戻っていた。雷が鳴る度に停電し、その度に十数分かけて電気を復旧させていた経験が、今回になって生かされたのだ。おそらく、雷が鳴った時点で電気を復旧させる手筈がすんでいたのだろう。
 刑務所内が慌ただしくなっているのが良く分かり、さらに、警報まで鳴った。
「緊急事態発生。四舎で脱走者が二名出た。警備の者を含め、所内の作業に当たっていた看守は至急脱走者の捜索に当たれ。繰り返す。四舎で・・・」
 電気が復旧した途端に警報が流れた。アイザワは、連絡が早すぎると思った。やはり、あの時刑務所内で発砲音が響いてしまったのがまずかったか。自分が外に出ている間に誰かが倒れている看守たちを発見し、停電中に確認作業に入ったのだ。倒れている者の顔さえわかれば、どこの獄舎の看守かすぐに分かる。さらに、あの時は交代する二人の看守が廊下で倒れていたのである。看守の交代は普通、その獄舎内で行われるため、交代するはずの二人が廊下で倒れていれば、監視する獄舎で何か異常があり、その最中に撃たれたと考えるだろう。
 アイザワは辺りを見回した。電気の復旧は最悪の事態であったが、その代わりに見通しはよくなっていた。右を見るが、あるのはずっと向こうにある刑務所入り口まで続く芝生だけである。左には、古い建物があった。おそらく囚人が働く工場か何かである。電気も点いていないし、尚且つ工場は塀に近いところに建っている。うまくいけば工場にあるもので外にでられるかもしれない。
 アイザワは工場へ向けて走り出した。右手には奪った拳銃がまだ握られている。左側にある刑務所では、激しく降り注いでいる雨と風の音に負けないくらい大きな声で看守たちが叫んでいる。
 工場に近づいた時、その雨と風の音ではない、別の大きな音がした。しかも、その音は工場の方から聞こえた。アイザワは焦りを感じた。ここまで来て、すでに工場内には看守がいる。しかし、後戻りはできない。さらに時間を掛ければ、より多くの看守が外に出てきて、あっという間に追い詰められてしまうだろう。アイザワは右手に持った拳銃をさらに強く握りしめた。
 その時、目の前の工場の屋根に、人影が見えた気がした。咄嗟に拳銃を構えたが、その時には屋根には誰もいなかった。気のせいであってほしいと願いつつ、アイザワは工場の中に入った。刑務所の明かりは届いていないが、屋根が雨を遮ってくれるため暗闇に慣れた目で何があるかはある程度分かった。さらに、工場の奥に行くことで、先ほどの大きな音の原因が分かった。工場内にあるストーブの、大きな煙突が倒れていたのだ。
 アイザワは、目を凝らしてそのストーブの下を見た。そこには円形の深い穴が二つ空いていた。ストーブの支柱が二つともなくなっているのだ。さらに、地面には何かを引きずったような跡があり、それは裏手へと出るシャッターの方まで続いている。工場の壁と屋根は壊れていない。
 その時、後ろからいくつものライトの光が迫ってくるのに気付き、アイザワは慌ててシャッターを通って工場の裏手へと出た。追い詰められたと思った場所には、信じがたい光景が広がっていた。
「これなら外へ出られる・・・!」
 思わず声に出してしまう程であった。工場の裏手にある刑務所を囲う塀に、さっきのストーブの支柱と思われる二つの大きな丸太が立てかけてあったのだ。自分の脱獄に、運も味方した。ストーブを建て替える作業でも行われたのだろう。その作業で先に引き抜かれた支柱が塀に立てかけられており、支柱を失ったストーブの煙突はこの強風が工場の入り口から入り、倒れてしまった。
 アイザワは笑いを堪えるのに必死だった。そして、目の前に立てかけられている丸太を触り、登っても丸太が塀から滑り落ちないか確かめたが、異常はない。手に持った拳銃をズボンに掛けようとしたが、拳銃の重さでズボンがずり落ちてしまう。仕方なく口にくわえて持っていこうとしたが、寒さで口が震え、挟み込んで登るのは難しかった。手もかじかんでいるし、登り切るのが精いっぱいだと悟り、拳銃を捨て、塀の頂上を見据えて二つの丸太を慎重に登り始めた。後ろからは看守たちの声がする。
 寒さで震える手で、慎重に丸太を掴んで登る。極限の緊張が、余計な体力を奪っていく。やっと丸太の頂上に着き、その上に立って手を伸ばした。塀の頂上には僅かに届かない。勢いをつけ、右手が塀の頂上に掛った時、右足で乗っていた方の丸太がずれ、丸太は塀を伝って滑り落ち、大きな音を立てて地面に叩きつけられた。その音を聞いて、看守たちが工場の裏手へ出てくるも、アイザワは既に塀の頂上に立っていた。しかし、塀の外を向きながら、その高さに足がすくんでしまっていた。
 ここを下りればいいだけだ。ぶら下がって手を離し、足と手を塀に擦らせながら降りれば皮は剥げるが足の痛みは軽減される。
 そう考え、アイザワが内側に向き直った時、一発の銃声が鳴り響いた。



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